ご覧になっていただきありありがとうございます。
臨床の経験はないのですが20年以上にわたって製薬会社で精神疾患の新薬の研究開発を行っていた医学博士の けんぞう です。
今日も科学的根拠に基づいた精神疾患関連の情報をお伝えいたします。
はじめに
萩原流行さんがバイク事故で死亡してから今日でちょうど1年です。
事故の原因は未だ解明されないままでは萩原流行さんも浮かばれません、、。
萩原流行さんはうつ病だったことは有名ですが、萩原流行さんは夫婦ともうつ病だったのです。
うつ病だった萩原流行さんが死亡してから1年
萩原流行さんがバイクの事故で死亡したのは2015年4月22日、きょうでちょうど1年です。
萩原さんは、
- 本名 : 萩原 光男(はぎわら みつお)
- 生年月日 : 1953年4月8日
- 出生地 : 東京都世田谷区
- 血液型 : O型
ですから、元気であれば63歳になったばかりだったんですね。
萩原流行さんは、昨年の今日、東京都杉並区内の自宅の近くの道路で、自分が運転する大型バイクで転倒し、後続車にひかれて亡くなったんですね、、、。
萩原流行は、かなりのバイク好きで有名。
そして好みのバイクは、あの大型のハーレーダビットソン。
萩原流行さんの事故は当初は萩原流行さんが服用している薬のせいではないか、自殺ではないかとまで週刊誌などのかき立てられました。
今になって思えば、萩原流行さんは天国でさぞかし悔しい思いをしていたことでしょう、、。
しかし、萩原流行さんはバイクの事故を起こす状態を否定できない可能性があったのです。
それまでに、萩原流行がバイクを運転中に起こした事故の回数が、「2年で5回」もあったのです。
萩原流行さんは、うつ病のために1日2回の服用をしており、注意力が散漫になって、集中力が低下していたのではないかというのです。
うつ病やうつ病の薬は眠気を誘う
うつ病では、
- いろんなことへの関心が薄れ注意力が散漫になる
- さまざまな不安感から夜は眠れないことが多い
と言われ、その結果、昼間に眠気に襲われることが多いのです。
また、うつ病の薬を服用している時には医者から、「運転をしないように」といわれることが多いのです。
うつの薬を服用した場合、
- 動悸
- 目のかすみ
- 眠気
- 全身の倦怠感
などの副作用が現れることが多く、運転はしないように止められているんです。
萩原流行さんの事故の真相
今日の日刊スポーツでは、萩原流行の奥さんの代理人が事故のその後について語っています。
代理人である堀内稔久弁護士は、「状況が進まず、困っています」と訴えています。
萩原流行さんの事故は、2015年4月22日午後6時頃、東京都杉並区の青梅街道で大型バイクを運転していた萩原流行は高井戸警察署の護送車に接触されて転倒、後続車の乗用車に胸部をひかれ、病院に搬送されたのですが心房破裂で死亡が確認されたのです。
現場付近で事故を目撃した男性によると、事故当時は激しい雨が降っていた。事故当時、萩原さんは3車線の中央車線を走行しており、右車線の2台後方を走っていたドライバーの男性によると、前方の走行車両を右側から追い抜こうとした際に「バイクがフラフラとふらついた」。次の瞬間、萩原さんはバイクから転がるように落ちた。
最初は、萩原流行はうつ病を患い、俳優活動をセーブしていたことや、最近バイクによる事故を2年半で3回も起こしていたことから、萩原流行の不注意や服用している薬のせいによるなどとして、警察側はすぐに過失を認めなかったのですが、
萩原流行さんは、片側3車線の直線道路の中央を走行していたが、左車線を走っていたワンボックスカーが右に車線変更してきたため、互いにすれすれの距離まで接近。
直後にバイクが進行方向右側に倒れ、萩原さんが投げ出された。上半身が右側車線にはみ出す形であおむけに倒れ、後方から走ってきた車に胸をひかれた可能性がある
という目撃者の証言などから、2015年9月に、警視庁は事故原因となった警察車両を運転していた男性警部補を書類送検するに至ったのです。
しかし、日刊スポーツによると、
2015年9月に書類送検された男性警部補の処分が、まだ分かっていないそうあのです。
さらに、警察側から萩原流行さんの奥さんであるまゆ美さんへの謝罪の申し出もあったのだそうですが、奥さんは、処分が決まらないうちは謝罪を受け入れるつもりはないと拒否しているそうなのです。
2016年に担当していた検事が代わり、新しい担当者は、まだ書類を読んでいないということで、検察側に解決の意欲を感じられず、困っている状況だという。
<事故後の経過>
- 2015年4月22日 青梅街道で萩原流行さんがバイクで転倒、その後死亡。
- 2015年4月23日 萩原さんのバイクが警視庁の護送車と接触していたことが判明。
- 2015年5月22日 萩原流行夫人が記者会見し、「事故に関して、どういう状況なのか分からない」など、警察への不信感をあらわす。
- 2015年6月24日 萩原流行夫人が杉並警察署を訪問。事故原因が警察車両の不注意だったことを警察側が認めたことが明らかになる。
- 2015年9月10日 護送車を運転していた警視庁の男性警部補が、自動車運転処罰法違反(過失致死)の疑いで書類送検。
というところで、ストップしているようなのです。
萩原流行さんの事故死の原因は、うつ病の薬による注意散漫も多少あったのでしょうが、警察車両の不注意が直接の原因だったのですね。
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萩原流行さん夫婦はうつ病だった
上に書きましたように、萩原流行さんはうつ病を患っていることを明らかにし、芸能活動も控えていました。
萩原流行さんがうつ病と診断されたのは1991年ですから、25年間もうつ病に悩まされていたのですね、、、。
萩原流行さんが、異常を感じたのは、
- 芝居をしている時に、セリフが頭にあっても、
- セリフが言葉になって出てこない
ちうようなことがしばしば見られるようになったのだそうです。
そして、
- 集中力が持続しない
- 朝起きるのが辛い
- 頭痛や吐き気がする
ということも多く、
- 誰にも会いたくないという気持ちが強い
- 仕事はしなければならない
という葛藤に悩まされ、「うつ病と診断」されたのだそうです。
こんな時に、
一番辛かったのは「がんばって」という周りの励ましの言葉
だったと、本に書いています。
萩原流行さんは夫婦でうつ病だった
萩原さんは、
うつ病になったことで
- 妻の「優しさ」を理解した
- 妻をこの世で一番の理解者と感じた
と述べていますが、うつ病では良い理解者を得ることが一番大事なのです。
萩原流行さんの奥さんもうつ病を患っており、萩原流行さんの一番の理解者だったのでしょう。
そして萩原流行さんは夫婦ともにうつ病になってしまったんです。
萩原流行さんの奥さんがうつ病になったのは萩原流行さんがうつ病になる4年前です。
ですから、もう20年も前のことですね。
その当時、萩原流行さんは40歳代でしたがまだ俳優としては売れておらず、奥さんも女優だったのですが仕事を休みい専業主婦として萩原流行を支え続けていたそうです。
奥さんは萩原流行と一緒に家に居る時間を楽しんだのだそうですが、
- 自分は金も稼がずに家にいる
- 萩原流行に対して申し訳ない
という気持ちが次第に芽生え、
- 自己嫌悪に陥っていく、、
- 外出することもできない、、
- 家事までもできない、、
状態になっっていったのだそうですが、
「萩原流行自身は徐々に売れ初め妻を気にかけることができずに、自己中心的な生活をしていた」
と本で述懐しています。
萩原流行さんの著書である「Wうつ」についてはまた詳しくご紹介しましょう
今日は萩原流行さんの1周忌、ご冥福をお祈します
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